350勝を挙げ野球殿堂入りも果たした元プロ野球選手・米田哲也容疑者(87)が2025年3月25日午前11時前、兵庫県尼崎市武庫之荘のスーパーで缶チューハイ2本(約300円相当)を万引きした疑いで逮捕された。
かつて「ガソリンタンク」の異名を持ち、日本球界の頂点に君臨した名投手が、なぜ300円程度の窃盗に手を染めたのか。
この事件は多くの人に衝撃を与え、元プロスポーツ選手の老後の生活について様々な憶測を呼んでいる。
【驚愕】米田哲也逮捕の裏側 – 元350勝投手の現在の収入事情

元プロ野球選手で通算350勝を誇る米田氏の現在の収入源はどうなっているのか。
多くの人が気になる点だろう。
月収10万円?伝説の投手の推定年金額の実態とは?
最も可能性の高い推定年金額は、月額約9万6千円~11万6千円程度。
この金額は以下の要素から導き出される。
- 国民年金
2025年度の満額は月額約6万6,250円。
長年働いてきた米田氏は満額受給の可能性が高い- 厚生年金
解説者・評論家時代(1978~1997年)の契約形態によって加入していた可能性がある。
加入期間が短い場合、月額3万~5万円程度と推定される
プロ野球選手の年金制度の知られざる現実
以前存在したプロ野球独自の年金制度は2011年に廃止されており、現在は継続的な支給はないと考えられる。
- 廃止された独自年金
1964年から2011年まで存在した制度は既に終了。
廃止時に積立金が分配されたため、現在の月額収入には含まれない。- 養老補助制度
2016年に導入された「支配下10年以上選手養老補助制度」は、55歳と60歳時に各50万円の一時金を受給できるもので、月々の年金収入ではない。
※実際の収入状況は公表されていないため、これらはあくまで制度上の推計であり、実際の受給額は異なる可能性がある。
米田哲也は本当に困窮していたのか ?最高年俸から現在まで

米田氏は1956年から1977年まで22年間プロ野球選手として活躍し、最高年俸は1971年の1,300万円に達したとされる。
現役時代の推定年俸推移を見ると、
- 1956年(18歳・新人): 約120万円
- 1957年~1960年: 150万円~400万円
- 1961年~1965年: 500万円~800万円
- 1966年~1970年: 900万円~1200万円
- 1971年(33歳): 1300万円(最高年俸)
- 1972年~1974年: 1000万円~1200万円
- 1975年~1977年: 700万円~900万円
日本銀行の資料によれば、昭和40年(1965年)の1万円は、現在の約2.5万円から4.6万円に相当するため、最高年俸時は、現在の価値に換算して6000万円程度と考えられる。
引退後の蓄えがどれほど残っているかは不明だが、87歳という高齢を考えると、貯蓄は減少している可能性が高い。
引退後の米田哲也の活動と現在の状況
米田氏は引退後、多岐にわたる職業に従事してきた。
西宮市で「セナ350」というスナックを経営し、テレビや新聞での解説者・評論家としても活動。
また、オリックスや近鉄の投手コーチを務め、少年野球指導も行ってきた。
具体的な活動履歴は以下の通り。
- スナック「セナ350」経営
- 毎日放送の解説者(1978~1981年)
- 関西テレビ・フジテレビの解説者(1982~1984年)
- 日刊スポーツ評論家(1979~1984年、1987~1997年)
- オリックス一軍投手コーチ(1992年)
- 近鉄一軍投手コーチ(1995年)
- 鳥取県内での少年野球教室開催
高齢となった現在では無職と報じられている。
87歳という年齢を考えると、活動の幅は自然と狭まっていることが考えられ、年金が主な収入源になっている可能性はある。
ただし、具体的な経済状況については公になっていない。
当時のプロ野球選手の年金事情
米田氏が現役だった時代、日本プロ野球には独自の年金制度が存在していたとされるが、その詳細な内容や現在の受給状況については公開情報が限られている。
プロ野球選手の社会保険加入状況は時代や所属球団によって異なっており、一概に言うことはできない。
引退後の生活基盤は現役時代の蓄えや引退後の職業、資産運用などによっても大きく左右される。
元プロ野球選手の年金事情については、
- 現役時代の社会保険加入状況は個人差がある
- 引退後の職業による厚生年金加入の可能性
- 国民年金の加入・納付状況も人によって異なる
まとめ
2025年3月25日、元プロ野球選手の米田哲也容疑者(87)が約300円相当の缶チューハイ2本を万引きした疑いで逮捕された。
通算350勝の記録を持ち野球殿堂入りも果たした名投手による今回の事件は、多くの人々に驚きを与えた。
米田氏は1956年から1977年まで22年間にわたりプロ野球選手として活躍し、最高年俸は1971年の1300万円。
引退後はスナック経営、テレビ解説者、コーチなど様々な職業に従事してきた。
現在の主な収入源は年金と見られ、国民年金と一部厚生年金を合わせて月額約9万6千円~11万6千円程度と推測される。
「ガソリンタンク」の異名で知られた不屈の投手が87歳という高齢で起こした今回の事件。
その背景には、現役時代の栄光からは想像しにくい晩年の生活状況があるのかもしれない。
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